生徒さんのレッスン中、改訂されたばかりのヴァイオリン教本を使用していた時のこと。
「あれ、私の持っている旧版では作曲者名が違っている!」
J.S.バッハの曲のはずが、改訂版ではペツォルトに… 出版社のミスかな?
実は、こういう事態にはけっこう遭遇します。
今まではバッハの作品と考えられていたメヌエットが、実は紛れ込んでいた弟子の作品だったと判明したのです。
ハイドンの作品とされていたセレナーデも、ホフスタッター作曲と記されることも多くなりました。
しかし、長年ハイドン作品として親しまれてきたため、名残りで曲名が「ハイドンのセレナーデ」になっていたりします。
作曲者名にバラつきがある理由は、他にもあります。
イタズラ好きな作曲家が、「○○の埋もれていた遺作を発見した‼︎」との触れ込みで、コッソリ自分の作品を発表したりすることがあるのです。(単なるいたずら心だけではなく、その時代なりの事情などもあったようです)
ヴァイオリニストのクライスラーなどが代表格で、バロック時代等の作曲家の作品と偽り、たくさんの自作品を演奏しています。実は自分の作だったと後に告白し、現在ではクライスラーの作品として知られています。
一方、本物の作曲者が判明しているのに、いまだに偽の作者名で演奏され続けているものもあります。
代表格はカッチーニの「アヴェ・マリア」。ルネッサンス時代のカッチーニではなく、旧ソヴィエト時代のヴァヴィロフという作曲家の作品であったと、後に判明しました。なるほど、改めて聴いてみると、ルネッサンス時代には使われなかった和音などがふんだんに見られます。作曲者の存命中に真相が明かされなかったことや、いにしえの時代の曲という印象がもたらす情緒、古い作品には著作権料がかからない…などという理由で、カッチーニ作品とされることが多いようです。
ヴィオラの名曲とされるヘンデルやJ.Cバッハの協奏曲。これらも実は、カサドシュという20世紀に活躍したヴィオラ奏者の作品で、二人の名前が楽譜に併記されているケースが多いです。(名作曲家の名前を借りて、ヴィオラのレパートリーを増やしたかった、という説があります)
これからも、あの名曲の作曲者は、実は別の人物だった…と判明するケースがあるかもしれませんね!
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